驚くべき実態 ― 支那人の脅威(高野義徳)
人気ブログランキングへ
わが党の若き同志である金友隆幸氏が、『支那人の日本侵略』という一書を上梓した。著者の金友氏は共同体を守る新しい政治思想として「排害主義」を説き、新攘夷運動を標榜する《排害社》を主宰している。

本書では、東京の池袋や上野、埼玉県・芝園団地、大阪、福岡など全国各地で増殖し続けるチャイナタウンの実態、生活保護、不法就労などといった犯罪を行う在日支那人の無法さ、さらには支那人の間接侵略を助長する売国日本人の動きがリアルに描かれている。実を言うと、本書は邦訳版で『支那人の日本処世術』という原書が存在するのではないのか。そんな疑いさえ湧いてくるほど、詳細にまとめられた支那人の生活ぶりには驚愕せざるを得ない。また、支那人に乗っ取られかけた街で、彼と排害社の仲間たちが「排害」するさまも克明に記録されている。彼一流のユーモアもふんだんに盛り込まれており、非常に読みやすい。分かり易く「ユダヤ人の害悪」を指摘したヒトラーのように。

支那人の日本侵略、それは中共の国防総動員法が示すまでもない。それは「正規戦」ではなく、「非対称戦争」なのだ。ありとあらゆる分野・レベルで侵略が企図されている。しかも、日本側に「内通者」が存在するのだ。参政権を付与せんとする政治家、生産設備という「人質」を取られた財界人、ODAのおこぼれに与ろうとする官僚、これら我が国の政官財に巣食う「敵」を炙り出し、殲滅せねばならない。同じ日本人だからと看過するような態度ではなく、「支那人と同じく、彼らも敵である」という峻厳な態度で臨まねばならないのだ。

読み終えた頃には「排害主義」を批判する言辞を失いそうになる。しかし、人の思想は弁証法的に成長しなければならない。排害主義者ではなくとも、「排害主義」への評価を自ら持つことで自己の思想をより強固なものと出来るだろう。

「外部から国家民族の共同体にもたらされる害悪を排除し、共同体を守ろう」という「排害主義」運動は緒についたばかりだ。その行方に大きな期待を込めて本書をお奨めしたい。

(たかの・よしのり)新風福岡

▽金友隆幸著『支那人の日本侵略』
日新報道刊 定価1500円(税別)
B6版 242頁
ISBN978-4-8174-0730-6
http://goo.gl/waMJQ

人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 19:38 | comments(1) | - | pookmark |
【書評】想像するだに恐ろしいが、これは現実なのだ。
坂東忠信『日本が中国の「自治区」になる』(飯ヶ谷裕司)
人気ブログランキングへ
物騒であり、一見するとヒステリックにも映る本著のタイトルだが、その内容は非常に冷静で、論旨にも全く矛盾がなく極めて現実的である。それは、著者である坂東忠信氏が、実際に警察官として18年間(うち通訳捜査官として約9年間)にわたり、北京語を駆使して中国人犯罪者と接してきた経験に裏打ちされたものだ。

論旨に矛盾がないと言うことは、『日本が中国の「自治区」になる』可能性を否定できないということを意味する。想像するだに恐ろしいが、これは現実なのだ。もう随分前から外国人犯罪追放運動を展開してきた諸団体によって指摘されてきたことであるが、近年では、船舶による危険を冒しての外国人密航者は減少の一途を辿る一方、戸籍売買によって正規の入国を装った不法入国者が増大している。これを著者は「なりすまし」と呼ぶ。

入国管理局の統計によれば、ここ10年ほど出身国別の外国人登録者数は各国とも横這いないし減少傾向にあるのだが、中国人だけが極端な右肩上がりの増加を示し、平成19年には外国人登録者数の第1位となった。その背景には、この「なりすまし」がある。他人になりすまして入国してくるわけだが、その旅券は正規のものであり、著者によれば「立件はほぼ不可能」だという。

無関心な日本人をよそに、外国人研修制度、留学制度、就学制度と「なりすまし」を複合させた手口で、場合によっては指紋に細工までして日本に入国し、不法滞在、不法就労する中国人。大増殖した不法滞在中国人たちが、近年では池袋などにコミュニティを形成し様々な犯罪に手を染め、国民の生活が脅かされる一方だ。池袋のケースでは地元商店街の反発にも耳を貸さず、行政が中華 街構想を推進する。政府も与野党議員も、外国人参政権をはじめ1000万人移民構想や外国人住民基本法などを俎上に載せ、中国人をはじめとする不良外国人の増殖を手助けし、その恩恵に与ろうと余念がない。

長年にわたり大国の庇護の下で浸り続けたぬるま湯の平和は日本人の感性を歪め、その思考は「人権」や「人道」など偽善的で偏った価値観に侵され、正常な判断も思想も「非人道的」なる言葉に圧殺される自縄自縛に陥った。その結果、不法入国者、滞在者、就労者に対してまでも人権尊重の温情主義こそが正しい選択だとのキレイゴトに支配され、犯罪者の処断すら出来なくなりつつあ る。

日本経済をリードすべき財界は、すでに経済活動にしか物事の判断基準を見いだせなくなって久しい。昨年9月に起きた尖閣沖での事件に関して、逮捕された中国人が釈放された際にも「今後もこうした摩擦が発生し、大問題とならないよう、未然に解決するための仕組みを作って欲しい。」と述べた経団連会長・米倉弘昌の言葉がそれを物語る。

不良外国人の増加に日本人が加担している構図がお分かり頂けるだろうか。外堀だけでなく、内堀までじわじわと埋められ続けているのだ。気づいたときには、移民1000万人どころではなくなっているだろうことを、著者も予感している。

大量発生した不法滞在外国人は個別に見ればただの犯罪者に過ぎないが、それらを把握し連絡網を確立している中国大使館の存在を忘れてはならぬ。平成20年4月26日の長野聖火リレーにおける中国人の「紅い暴動」の裏では、中国大使館が糸をひいていた。今後もこの勢いで在日中国人が増加していくと、機動隊などではとても止められないような大規模な暴動を中国当局がコントロ ールできるようになる。治安の崩壊だ。

保守派の論調は、ともすれば中国共産党と人民解放軍の膨張による軍事的脅威ばかりに目が向きがちであるが、著者が18年間肌で感じてきた通り、本当の危機はいま私たちの身の回りを侵食しつつある。日本人が偽善的人権思想から脱却し、お金よりも大事なものがあることに気づき、そして未来の祖国と子孫に対して責任感を持つことが出来なければ、武力などによらずともいずれ中国は日本を併呑してしまいかねない。

その時は、晴れて平和裏に『日本が中国の「自治区」に』なる。

(いいがや・ゆうじ)新風本部青年部長

人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 19:10 | comments(0) | - | pookmark |
【書評】維新を志す者はテクノロジーで「武装」せよ! 佐々木俊尚『仕事をするのにオフィスはいらない』(高倉和也)
人気ブログランキングへ
チュニジアにおいて「ジャスミン革命」が起こった。さらに、これがエジプトなどに飛び火し、中東各地で民主化運動が拡がっている。これら一連の動きにおいてフェイスブックなどインターネットによる情報交換が一定の役割を果たしているという。

歴史上、新しいテクノロジーが旧体制の破壊を促進した事例は少なくない。織田信長は火縄銃を用いた新たな戦法を用いて天下統一を成し遂げたし、薩長は近代的な兵器や用兵により倒幕を成し遂げた。他国にあっても、ナポレオンは腕木通信と呼ばれる通信技術を利用したし、ナチスもラジオをプロパガンダの手段として採用した。

自分たちの目標を達成するためには、他者に先んじなければならない。現代において維新を目指すのであれば、パソコンやインターネットを活用するのは当然であろう。だが、そこで勘違いしてはいけないのは、新しいテクノロジーがありさえすれば旧体制を破壊できるわけではないという点だ。理想的な世の中にするためにどうすればいいかと考えた結果、新しいテクノロジーを取り入れていくのであって、新しいテクノロジーが生まれさえすれば、理想的な世の中が実現すると考えるのは愚の骨頂と云わねばなるまい。テクノロジーはあくまでも道具であり、それを有意義に使えるかどうかは人によるのだ。新しい世の中を作るのは人間であり、テクノロジーはそれを助けるだけである。

旧体制に挑もうとする者たちは、旧体制の側にいる者たちを比べて、資金的にも人的にも余裕がないのが一般的だ。各人の生産性を上げていかなければ旧体制には勝てるはずがない。それを考えると、難しいからといって新しいテクノロジーを取り入れないのは怠慢であるし、やる気がないと見られても仕方がない。たとえ自分自身が使えないとしても、それを部下達に取り入れさせ、組織全体としては活用できるようにするべきであろう。上の世代が下の世代に比べて新しいものごとに適応するのが難しいのは理解できるけれども、そんなことを言っていたら、いつまでたっても維新などできないのである。

『仕事するのにオフィスはいらない』は、スマートフォンやクラウドを活用することで、個人や組織の生産性を高めることを説いた本だ。最新の本ではないけれども、新しいテクノロジーで武装したビジネスマンたちが、どのように働いているのかを垣間見ることができる。ITを使って自分たちの生産性をどの ように上げていくかを考えるかにはとてもよい入門書である。十分にITを活用できていない方には、ITの活用法を考えるきっかけとして読んで頂きたいと思う。そして、ITを活用することで生まれた金銭的・時間的余裕を、自分や家族のために使って頂ければと思う。また、その一部を少しづつ日本のために使って頂ければ、日本は少しづつ良くなっていくに違いない。

新しいテクノロジーをどんどん活用して頂きたい。それはエンジニアの卵である私個人の願いでもある。

(たかくら・かずや)新風神奈川 青年部長

人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 18:23 | comments(0) | - | pookmark |
関岡英之『中国を拒否できない日本』(金友隆幸)
人気ブログランキングへ
「いま起きていることは、近代以降、私たち日本人が初めて直面する事態なのである。」

関岡英之氏の『中国を拒否できない日本』は、現在の我が国に降り掛かりつつある事態に関する、このような一節から始まる。

では、この史上未曾有の事態とは何か。端的に言うならば、 ― 支那の史上最大の膨張 ― である。それは政治、経済、株式、資源、産業、軍事からコンビニの店員にいたるまで、あらゆる場面で我々日本人が逃れることのできない存在に肥大してしまった。

およそ東京都内に住んでいれば、友達と会わない日こそあれ、支那人を目にしない日は少ない。すでに都内在住の支那人は15万人を超え、全国では80万人に迫る勢いで、我が国最大の民族集団を形成している。これは今まで最大勢力であった在日朝鮮人を既に抜き去り、今後も激しい増加の兆しを見せているのだ。

自分が本書を知ったのは、去年の暮れにあった関岡氏の講演会である。演題は「日本の真の独立は ― 米中二大覇権国のはざまで」といったもの。これまで拒否できない日本』など、アメリカの内政干渉の如き対日圧力を調査し、健筆を振るって来た関岡氏のことだから米中の事を半々話されるのかと思いきや、始終支那問題を熱く語られていたので、とても印象に残っている。

関岡氏は鋭敏な感性と、“オープンソース”への入念な取材で、時代を先取りした警世的な書を著して来られたが、今回は支那に的を絞ったのは、一つの時代の流れとも言うべきか。

そもそも、関岡氏の問題意識は平成20年4月の北京オリンピック聖火リレーが長野で行なわれた時にさかのぼる。当時、チベット問題に端を発し、世界中で轟々たる批判と抗議が殺到する中、「聖火」は全世界を駆け巡った。

聖火リレー当日、長野市内は五星紅旗の大群衆に埋め尽くされた。支那人が日本人に怒声を浴びせ、暴行をふるう。まさに長野が北京か上海にでもなってしまったかのような情景であった。

この事件を関岡氏は「長野赤旗氾濫事件」と呼び、「中国政府が、日本に在留する自国民を組織的に動員して、日本の主権下でこれほど大規模な示威活動を公然とやってのけたのは開闢以来初めてではないか」と指摘し、第二、第三の「赤旗氾濫事件」は発生すると警鐘を鳴らす。そして、この「赤旗氾濫事件」とは昨年七月、支那中共が制定した「国防動員法」の海外における発動の予行演習だったのではないかと推論する。

そもそも、支那においては戦争の概念は我々日本人とは大きく異なる。平時と戦時を結びつける「平戦結合」と、軍事に民生の総力を用いる「軍民結合」の思想があり、戦争概念が極めて曖昧で広汎に渡る。

こうした支那人の戦争に対する発想は喬良、王湘穂という2人の人民解放軍空軍大佐が書いた『超限戦21世紀の「新しい戦争」』という本に示されている。 ここで二人は、軍事と非軍事を問わず、様々な次元が戦争の空間や手段になると説く。金融戦、貿易戦、密輸戦、経済援助戦、法律戦、心理戦、世論戦…。 そしてこの非軍事の戦争で“兵器”となるのが、株式、資源、エネルギー、食糧、水、法律、メディア、世論、情報、言語、移民などである。今や支那は、これらを総動員して、我が国に総力を挙げた“超限戦”を仕掛けて来ているといっても過言ではあるまい。

関岡氏は最後に、我が国が支那に備えるためにも核武装の検討を始めるべきことを示唆されている。全く同感である。しかし、現在支那が仕掛けている総体的な侵略に対して、核兵器は一部分での抑止にしか成り得ない。核兵器を持っても、支那人の怒濤の如き移民は日本を目指して来る。

核ミサイルや空母でも対処できない ― ではどうするのか、まさに私たちは、日本人が初めて直面する事態に直面しているのである。その事態を正しく認識し、我々が何を為すべきかという大きな道標を本書は与えてくれている。

『中国を拒否できない日本』を正しく読むならば、“中国を拒否しなければいけない日本”である。我々の叡智と勇気が問われている。

(かねとも・たかゆき)新風東京
人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 17:09 | comments(0) | - | pookmark |
孫崎享著『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』(本山貴晴)
人気ブログランキングへ
著者は元外務官僚で駐ウズベキスタンや駐イラン大使を経て、防衛大学校の教授も勤めた。岡崎久彦の外務省時代の部下でもある。『日本外交――現場からの証言』・『日米同盟の正体』といった著書を有するが、本書では特に戦略論に絞って、日本の安全保障を論じている。

「戦略」とは、著者の定義によると、「≪人や組織に死活的に重要なことをどう処理するか≫を考える学問」である。そして、戦略こそが日本人に最も欠けているものであるがゆえに、いま日本人は戦略について学ばねばならないと主張する。著者も指摘する通り、日本に戦略がないのは戦後からではない。大東亜戦争に敗れたのも、旧軍に戦略がなかったからである。日本が戦後の高度経済成長を成し遂げることができたのは、モデルが欧米にあったためで、追いついてしまったら後どうするかは、自分達で決めねばならないのである。

そして現在の日本にとって「死活的に重要」なことは安全保障政策である。著者はここに最大の戦略欠如を見る。著者は言う。「≪独力で守る≫という思想の欠如こそ、日本の防衛政策の最大の問題点」(151頁)、「米国は日本要因で米中戦争に突入することを極力避ける」(164頁)、「≪米国に追随する≫と≪独自の戦力の充実に努力しない≫ことには密接な相関関係がある」(174頁)。「米国は、日本の基地を基盤にして敵と戦う権利を持つ。しかし、義務はない」(175頁)。

戦略を立てるために最も重要なことは、現状を知ることである。従って本書でも、大まかにではあるが日本の置かれた情況を本質的に分析して見せている。その上で著者の示す戦略(政策)には疑問点も多いが、われわれ自身が今後政治活動を展開する上でも、示唆に富んだ一冊である。

▽孫崎享『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』
祥伝社新書 800円(税別)
http://amzn.to/gQ2Bcc
人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 18:29 | comments(0) | - | pookmark |
里見岸雄『国体に対する疑惑』を読んで (高倉和也)
人気ブログランキングへ
私は保守系の講演会に参加したり、その後の懇親会に参加する度に疎外感や劣等感を感じていました。それは、ただ単に知識が足りないことによるものだけではなく、保守系の方々に共通している感覚を共有できないことによるものでした。天皇や皇室に関する敬意は持っているのものの、拭い去ることのできない疑問が胸のうちに去来することを意識する度に、私は他の人が理解できることを理解できないという、疎外感や劣等感を感じていました。これはいくら本を読んでも、いくら講演会に参加しても解決できるものではありませんでした。

たとえば、『国家の品格』において、藤原正彦氏は「論理と情緒」という考えを用いて、論理に対して疑問を投げかけ、論理的に正しいからといっても、情緒的に受け入れられなければ、それは論理として間違っていると言っています。

しかし、私は論理的なものに対しては論理的に反論できなければ説得力はないと思うのです。子供が親に対して素朴な疑問を持ったときに「そういうものだから」「何を偉そうな事を言っているんだ」などと論理的ではなく、情緒に頼って説明してしまうことは、説得力が全くないうえに、いたずらに反発心を植え付けるだけになってしまうのではないでしょうか。

特に天皇や皇室に対してそういう疑問を持った場合、そのような疑問を持つこと自体がいけないことだ、あるいは疑問を表明してはいけないという雰囲気が保守陣営に存在するのを感じます。

しかし、天皇や皇室に対して敬意を持ちつつも、素朴な疑問を持つことはあり得ないことなのでしょうか。私はそうは思いません。かつて、「なぜ殺人をしてはいけないのか」という子供の質問に対し、大江健三郎氏が「そのような疑問を持つこと自体が悪いことである」と回答していたのを思い出します。

はっきり言って全く説得力がありません。別に子供は人を殺したいとは思っていないのです。あなたが人を殺すことを認めると、他の人があなたを殺すことも認めることになる。それでは困るから、あなたも人を殺してはいけないのだ、という様にきちんと説明することもできるのです。それをせずに、高圧的な回答をすることはただの逃げであると言わざるを得ません。

それと同じように、天皇や皇室に対して尊敬する気持ちを持ちつつ、素朴な疑問を持つことは不敬には当たらないでしょう。

しかし、私の経験上、保守の方々に対して天皇や皇室に対する質問をしても明確な答えが返ってくることは皆無であり、論理的に質問を続けると「不敬だ」と怒られるのではないかという恐怖を感じ、そこで質問するのを止めてしまうのです。そのようにして私の心の中のモヤモヤが解消されることはありませんでした。論理的に説明することはもちろん難しいことですが、それらの疑問に対して「不敬だ」などと言って押さえつけるだけで、論理的に説明することじたいを否定してしまうと、はじめ小さな疑問であったものが、天皇や皇室に対
する反発につながってしまいかねません。

そのような時に、私は左翼の方々の気持ちがよく分かりました。このモヤモヤが解消されることが無いどころか昂じたために、天皇や皇室に対して反発するようになってしまったのでしょう。

杉本五郎中佐著の『大義』を読んだとき私の不満は、頂点に達しました。中佐が、天皇や皇室に対して敬意を持っているのはよく分かります。しかしながら、私も敬意を持っているのです。それにも関わらず、中佐は自分が天皇や皇室に対していかに敬意を持っているのかを、強い語気で説明することに終始します。加えて、その理由説明も弱すぎると感じました。

私は、理由が知りたかったのです。けれども、それを説明して下さる方は残念ながら皆無でした。もちろん、論理的に説明できないものは否定するというほど私は馬鹿な人間ではありません。子供のころに親から言われた、「そういうものだから」、「いつか分かるよ」と同じ類の説明なんだろうな、と納得しつつありました。実際そういう説明も悪くは無いでしょう。本当に分かる時が来るかも知れないのですし…。

この『国体に対する疑惑』を読んで、私は今まで胸の内に抱えていた疑問の多くを解消することができました。私が抱えていた、もしかしたら保守を標榜する多くの人々も抱えているかもしれない、数々の疑問に対する回答がここにはあるのです。里見岸雄博士の人柄なのか、読者の疑問を受け止め、さらにその疑問を明確に定義し直した上で、論理的に回答して下さるのです。私の様な人間にとって、これほどありがたい本はありません。今後、里見博士の他の著作も読んでいこうと考えています。

私はこの本を読んで以来、疎外感や劣等感を感じることが急激に減少しました。今でも、講演会や懇親会に参加したりする度に、私の天皇皇室に対する理解の仕方と他の方々の理解の仕方とが違うと感じることはあります。しかし、それでいいと考えています。他の人が感性的な側面を重視するのに対して、私は理性的な側面を重視しているだけなのです。

もしも私と同じように、天皇皇室に対して敬意は持ってはいるものの、人には言えない疑問を持っている方がいらっしゃれば、『国体に対する疑惑』を隠れて読んでみることをおすすめします。もちろんそうでない方にも。

(たかくら・かずや)新風本部 学生部長


 里見岸雄著 日本国体学会刊

人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 21:55 | comments(2) | - | pookmark |
『大義』を読んで考えたこと (高倉和也)
人気ブログランキングへ
「街宣王子」こと金友隆幸氏から一冊の本を渡された。表紙には『大義』とある。著者の杉本五郎中佐は、支那事変において敵弾を浴びつつも軍刀を杖代わりとし、皇居を遙拝したまま壮烈な戦死を遂げたという。とても自分には真似できない。

実を言うと、この本を手に取ることすら抵抗感があった。杉本中佐の確固たる天皇観に触れることで、少しずつではあるが自分なりに構築してきた天皇や国体に対する考えが否応なく粉々にされ、呑み込まれてしまうのではないかと恐れたからだ。そんな私の苦悩も知ろうともせず、編集部の山本君が感想を書けという。内容を完全に消化し得たとは言い難く、読者諸氏から異論の出ることは想像するに難くないが、現時点で考えたことを正直に綴りたい。

古来、人間を含めた形而下の存在を存在たらしめる形而上的なるものを求めて様々な思索がなされてきた。私の考えでは、宗教もまた「形而上と形而下を繋ごうとする営み」の一つである。形而上的なるものじたいは普遍的存在であるが、形而下の人間にはよく見えない。気候や風土、さらには民族の文化や習慣といったものに影響され、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・神道など種々の宗教が生じた。形而上的なるものの典型は「ゴッド」であるが、この
「唯一絶対の創造神」という概念じたいがユダヤ・キリスト教的なものであり、万人の承服するところではない。

科学もまた、宗教とは違った観点から「形而上と形而下を繋ごうとする営み」である。つまり、宗教家も科学者も見ようとしているものは同じであり、宗教と科学は「一つの頂上を目指す別の道」に過ぎないと私は考えている。

ところが、『大義』には、「天皇は、天照大御神と同一神にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統一の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆天皇に帰一せしむるための方便門なり。」とある。天皇こそが形而上的なるものだという。この考えには衝撃を受けた。しかし、「形而上と形而下を繋ごうとする営み」として宗教が存在し、その宗教の一つとして神道が存在するという私の考えとは齟齬を生じてしまい、どうしても受け容れること
ができなかった。その他の部分においても、「天皇」を「公」や「天地の公道」などに置きかえれば確かに納得できるのであるが、そこに「天皇」が入ると納得し難い部分が出てくるのだ。

それを「不忠」と言われたならば仕方がない。けれども、自らの考えを枉げて、あたかも杉本中佐と同じ考えであるというような振る舞いはできない。ただ、杉本中佐の信念に対して畏敬の念を抱く。これからも勉強を進め、自分なりの天皇観を確立したい。

(たかくら・かずや)新風本部学生部長
人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 12:31 | comments(0) | - | pookmark |
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』 (山本和幸)
人気ブログランキングへ
宗谷海峡を挟んで樺太を望む稚内公園に、樺太で亡くなった全ての日本人を慰霊する「氷雪の門」と大東亜戦争最末期に真岡郵便電信局で自決した電話交換手を悼む「九人の乙女の像」が建っている。

昭和43(1968)年9月に行幸啓あそばされた昭和天皇と香淳皇后は、以下のような歌を詠まれ、同地には歌碑が建立されたという。

昭和天皇御製
 樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる

香淳皇后御歌
 樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる

樺太西海岸の港町・真岡。敗色は色濃かったが、北緯50度線を挟んで国境を接するソ連とは中立条約を結んでおり、これまで目立った戦渦に巻き込まれてこなかった。

しかし、ソ連軍が「ソ連政府ノ政策ハ平和ノ到来ヲ早カラシメ今後ノ犠牲及ヒ苦難ヨリ諸国民ヲ解放セシメ」るためと称して、8月9日に突如として侵攻を開始する。しかも、開戦前に宣戦布告するも駐ソ大使館と日本本土を結ぶ回線を切断。事実上、宣戦布告なしの攻撃となった。

戦闘は玉音放送によりポツダム宣言受諾が国民に布告された15日以降も続いたが、真岡郵便電信局の10代・20代の若き女性交換手9人は、ソ連の侵攻に伴い緊急疎開命令が出されるも、その場から離れず、電話交換業務を自ら志願し、日本軍、そして帝国臣民の安全を守るという職務を貫徹しようとした。

昭和20年8月20日の朝、ソ連軍が真岡に上陸する。真岡以外の回線は途絶え、敵兵が人々を襲い続ける中、「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」という言葉を最後に通信を終え、青酸カリによる自決という方法で潔く死を選ぶ。これが有名な真岡郵便電信局事件だ。現在、“九人の乙女”は“英霊”として靖国神社にも祀られている。

この事件をモデルにして、昭和49(1974)年に『樺太1945年夏 氷雪の門』という映画が制作された。当時には稀に見るような5億円以上という破格の製作費が投じられ、前売券は70万枚以上まで売れたという。にもかかわらず、「反ソ、反共映画である」としてソ連当局から外務省・文部省に圧力がかかり、当時の配給会社は上映を断念してしまった。それが、36年後の本年夏に改めて公開される運びとなった。

命尽きるまで自らの職責を果たさんとした彼女たちに引き比べ、現在の政治家は何をしているのか。自らの命と引き換えにでも、北朝鮮による拉致被害者を奪還せんとする覚悟を持つ政治家は一人もいないではないか。

我々は知らなければならない。

私たちは“九人の乙女”をはじめ多くの日本人が斃れた上に生きていることを。
そして、その私達の使命を。

『樺太1945年夏 氷雪の門』
シアターN渋谷はじめ全国順次公開

(やまもと・かずゆき)新風福岡
人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 11:16 | comments(1) | - | pookmark |
「底が抜けた社会」における思想家の役割           相川絹二郎
人気ブログランキングへ
かつて「ブルセラ助教授」と呼ばれた宮台真司氏が書き下ろしたという『日本の難点』(幻冬舎新書)を読んでみた。

それにしても、宮台氏の圧倒的な知識の広さと深さには驚かされる。彼は社会学者を自任しているが、その関心領域は狭い意味での社会学に止まらない。

宮台氏によれば、現代社会は「底が抜けている」という。すなわち、かつては明確な善悪の基準があるとされ、それに基づいて社会のシステムを変えようとする行動が生まれたのに対し、今日では社会のシステムじたいが善悪の基準を規定していることが明かとなり、行動することも行動しないことも個人の選択に委ねられるようになった。そのような「再帰的近代」においては、個人主義と共同体主義は必ずしも矛盾しない。

そうした観点から、宮台氏は「いじめ」・「若者の恋愛」・「自己決定」・「自殺」・「宗教」・「食料自給率」・「対米自立」・「重武装」など様々な問題に触れつつ、非合理的な利他心の「感染力」を梃子に日本社会の「自立」に向けた具体的な解決策を示していく。

「いったん『この社会』の直接性から離れた上で、再び『この社会』へと向かうための、いわば『往って、還ってくる』旅」と言うだけあって、現実との適度な緊張感が感じられ、難解な部分もあったが大いに触発された。けれども、たまには反論したくもなることがある。たとえば、ポストモダン思想は社会から本当に絶対値を奪ったのだろうか。政策が実践論理として機能している場合、その効率は絶対値とみなすこともできるのではないか。また、宮台氏は宗教を現実社会に対する一種のプラグマティズムであり、社会改革の装置と位置づけるが、それだけとも言えないだろう。

とはいえ、問題の現実的解決において大切なのは、「何が事実ということになっているのか」である。これまで、宮台氏が提起した様々な問題について、伝統主義者も進歩主義者も解決の手だてを示してこなかったのだ。その点では、非常に高度な議論であるといっていい。皆様にも是非にもご一読頂きたい。

                   (あいかわ・けんじろう)新風福岡


人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 15:05 | comments(0) | - | pookmark |
「鈴木邦男嫌い」こそ読もう! (山本和幸)
人気ブログランキングへ
鈴木邦男氏の新著、「右翼は言論の敵か」を読んだ。

「右翼は言論の敵か」。 ―この問いに対して、多くの国民は是とするだろう。むしろ、「街宣」と「言論」という言葉は、まったく正反対の存在であるとなんとなく考えている人の方が多いのかもしれない。

そもそも、この本を手に取り、購入したきっかけになったのは、新風のシンパサイザーでもあり、私が日頃から懇意にさせて頂いている大学の先生に薦められたからだ。

それと同時に、鈴木邦男氏のように多くの右翼とは一線を画す異端的な言論スタンスが私は好きだからというのが最大の理由である。「なんだ、鈴木邦男ファンか。」とがっかりされた方は、ちょっと待ってほしい。

新風の中にも、彼が「新右翼」や「民族派」という枠組みにカテゴライズされ、自分と近い存在とされていることに不満を持つ人は多いことだろう。私自身、彼が映画「靖国」を礼賛し「愛日映画」などと主張していた事には非常に違和感を感じる。しかし、彼の言うとおり、観る前から批判するのは、荒唐無稽そのものだ。因みに、私は映画「靖国」を観る機会に恵まれた。その上で、この映画は「愛日映画」に非ず、酷評せざるを得ない作品だと言わざるを得ない。

しかし、人は少なからず様々な先入観に惑わされている。たとえ、その映画が靖国神社などから反発を受けたという事実を知らなくてもだ。例えば、中国人が作ったからなどといったことにより、先入観を作っているのかもしれない。自らの立場に対し、観念的に陶酔するのではなく、「右翼」に対して、批判的に、かつ冷静に見られる者こそ「新右翼」なのだと、本書を通して改めて確信した。

翻って、新風は「維新」を掲げて選挙戦を戦っている。維新とは、天壌無窮の我が国体を守りながら、大胆な体制変革を志向する運動
だ。すなわち、天皇陛下を中心とする国のかたち以外は、全てが改革の対象となる。従って、現下のわが国を覆う諸問題を鑑み、明治維新にも昭和維新運動にもない、これまでにない大変革だということだ。単なる観念的な復古主義者は要らない。

ということは、そこに「常識」など存在しないのだ。むしろ、私達は「常識」を創造することに取り組んでいかねばならない。

であるならば、どんな意見でも一旦耳に入れて、自らの頭で考えてみる必要がある。そこで、他者に惑わされることなく、それを評価し、賛同できないのであれば、その対案を考える。それこそが、日本の未来を切り開く“維新者”になろうとする心構えではないのか。

戦後、思想を模索することは蔑ろにされ、多くの悪法や悪辣な政治家を駆逐するなどといった対症療法的な運動ばかりが展開され、思想を真摯に模索することは優先事項ではなかった。そういった運動を否定するわけではないが、そこには「創造」や「建設」といった概念はないことは言うまでもない。そのような「創造」や「建設」と無縁の運動は「維新」を遠ざけるだけだ。

本書は、事前知識がなくとも読めるから、日本の思想・政治運動史などについて今から学ぼうとしている人にもお勧めできる。政治運動をしている身として、私自身も色々と考えさせられる点も多々あった。

また、本書では彼が出会った様々な右翼思想家について多くの筆を割いている。「大物」と呼ばれるような多くの思想家に出会っていたからこそ、彼の異端的なスタンスは展開できるのだろう。私は権威主義的な発想が嫌いではあるが、里見岸雄、葦津珍彦などから直に話しを訊いてみたかったなと思いながら読んだ。が、私は本書に挙げられていたような人物以上に、現代日本で少数派として圧迫される鈴木邦男氏にこそ、話を訊いてみたい。

「鈴木邦男嫌い」にこそ、ぜひ読んでほしい。それでも、鈴木邦男氏の本を読むのが嫌な方は、今度から「私はこの問題に関してこう思うが、あの鈴木邦男ならどう思うだろうか」と考えてみたらどうだろうか。

ちくま新書821・筑摩書房刊 税別七六〇円

(やまもと・かずゆき)新風福岡
人気ブログランキングへ
| SHIMPU + REVIEW | 00:07 | comments(0) | - | pookmark |

メールマガジン登録

メルマガ登録はこちら

政治ブログランキング参加中!

新風全国青年部公式twitter

記事カテゴリー

新着記事

過去記事

WINについて

QRコード

qrcode

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

SPONSORED LINKS

お薦め商品

お薦め商品

お薦め商品

RECENT COMMENT

  • 驚くべき実態 ― 支那人の脅威(高野義徳)
    愛国者 (11/19)
  • 里見岸雄『国体に対する疑惑』を読んで (高倉和也)
    管理者 (03/13)
  • 里見岸雄『国体に対する疑惑』を読んで (高倉和也)
    叛逆のくりぃむ (03/10)
  • 反面教師としての李氏朝鮮 (本田和隆)
    シコウ (08/21)
  • ある、英雄の言葉。                      本山貴晴
    猪 (07/31)
  • ある、英雄の言葉。                      本山貴晴
    通りすがり (06/08)
  • MEETING  新風青年部座談会 「私が新風に入った理由」
    ケータイ (04/08)

関連サイト

記事検索